4月16日早朝小雨、しかし 8:00晴れ「郷組圃場」へ出発
今日は、初体験の「竹炭」作り。今まで、ストーブ用にせっせと竹を切っていた。
さて、どこで「炭」にするのか? 3ヶ所の場所に、竹を「櫓組」に1メートル位積み上げ、火を点けると勢いよく炎は上がる。このままでは「灰」になると心配。50分位すると、灰から「炭」までまだら状になる。ここで「水」「櫓」が5%の体積になる。目出度しめでたしである。6つの「櫓」を数にすると、大バケツ20缶。2時間の熱闘。
早速、ナスの植え付け穴に土壌改良用として補強。「完全有機栽培」とは、かくも労働と時間を要するものかと、改めて感心する。
「櫓」の炎を見ながら、66年前の父の姿を想像した。
1945年8月9日「長崎」に原爆が落とされた。父は「救援隊」の一員として長崎へ5日間入った。長崎は坂の町で、家と竹は同居している。「原爆の絵」の中に「櫓」に組まれた木材の天辺に、2人の着物姿の女の子が寝かされている、火着用として多くの「竹」が使われたであろう。「救援隊」は火葬人もしたであろう。父はどんな気持ちで炎を見ていたのか?
折りしも、「東電福島原発」事件で、この伊豆半島にもヒタヒタと放射能「死の灰」がおしよせている。
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