「三度目の正直」 新米農民より

3度目の正直」の言葉通り、快晴。陽光に輝くヴェール・レーテュの茶葉、そこから醸しだす薫風、お祝いするかのような鶯の鳴き声。万全整い「茶摘み人」を迎える。1000、緑の園に黄色い声が響き、ひまわりクラブの小学生18人引率者10人が行進風で入園。摘み方等、注意ごとを聞き一斉に茶畑に飛び込む子供たち、大キャンパスの画と化した。休憩。新茶をよそ眼に、郷組自家製の練羊羹をほうばる子供たちの笑顔と煌めく瞳は、碧き空に吸い込まれた。2度の雨で3度目の参加者は少なくなったが、「煌めく体験」として残れば郷組の役割は大きい。子供たちは去り、静寂の中で東の方を仰いだ。416日「竹の炎と長崎原爆」で記した。「この伊豆半島にもヒタヒタと放射能『死の灰』がおしよせている」昨日、神奈川県の「足柄茶」生葉から、暫定基準値を超える放射性セシウムが検出と報道された。

1975年のアメリカ・スリーマイル原発事故(レベル51986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故(レベル7)、そして今回の「福島原発」事件(レベル7)、「3度目の正直」は許せない。しかも「先進国」と言われている国々ではないか!この国々に共通するものは「すべて『人の命』より始まる」を忘れているのではないか1.菅首相は、3年後に「浜岡原発」を再会すると発言している。私は、東の「福島」、西の「浜岡」を同時に観ることは出来ない。原発推進論者に、今日の子供たちの姿を見せたい。あの「煌めく瞳」にウソを述べていたら「地獄」落ちになるであろう。仏教用語に「仏の顔も3度」とある。